玉城 (岐阜県 関ケ原)3月23日

3月の例会は、玉城を訪れました。

この日の参加者は31人でした。

寒い日が続いていましたが、この日はポカポカ陽気で絶好の城巡りの日となりました。

JR関ケ原駅で集合して、出発です。

今日の担当者は杉本さんです。よろしくお願いします。

ここからバスに乗り込みます。

いざ、決戦の場、関ケ原へ!!!

バスは、石田三成や島津義弘など、西軍の名だたる部将の陣の中を通りぬけ、その奥にある玉城へ向かいます。

胸の高まりは、徐々に高まっていきます。

玉城のふもとの関ケ原エコミュージアムに着きました。

ここから、関ケ原町地域振興課の学芸員、川嶋さんの説明を聞きます。

川嶋さん、よろしくお願いします。

正面に玉城が見えてきました。

玉城は、2020年にNHKで特集が放映されてから、一躍脚光を浴びるようになりました。

玉城の登山口に着きました。

さあ、ここから攻城します。

戦時中は、旧陸軍の火薬庫があり、軍事施設の遺構が多く残っていました。

細い道を列を組んで登っていきます。

暑くもなく、寒くもなく、ちょうどよい暖かさです。

主郭に近づくにつれ、だんだんと急になっていきます。

もう少しですよ!! 頑張れ

主郭に到着しました。

伊吹山が、白く雪をかぶり綺麗に見えます。

ここで、玉城について説明を聞き、みんなで考えました。

ここは、関ケ原合戦の時に、秀頼が着陣する計画があった城という説もあります。

はたまた、それではなく美濃と近江の境目の城だという説もあります。

どちらにせよ、城マニアの興味を搔き立てる城であることに間違いはありません。

ここで、お昼休憩を取ります。

街道を真下に眺めながら昼食です。

午後からは、玉城の遺構をひとつひとつ巡っていきます。

ここは、旧陸軍の高射砲の跡です。

わずかに残る曲輪周辺の土塁の跡です。

旧陸軍の施設がつくられたため、城の遺構がほんの少ししか残っていません。

主郭の西側にある大堀切です。

結構深いです。相当、敵の侵入を警戒していたことが分かります。

大堀切を下から見上げます。

実際に見てみると、その大きさに圧倒されます。

大堀切から、連続竪堀へ向かいます。

急な斜面ですので、何度も足を取られそうになりました。

おっと!危ない! 気を付けて!

連続竪堀に着きました。

みんな、真剣に説明を聞いています。

主郭の西側に大堀切や連続竪堀の防御施設が集中しています。

反対に、東側にはほとんどありません。

やはり、玉城は境目の城なのか、

その説が、少しずつ優勢になってきました。

この角度から見ると、連続竪堀のすごさが分かるでしょうね。

足元には、これくらいの石が転がっていました。

石の一つにも、参加者は興味を持って調べます。

それほど、魅力的な城でした。

下山しました。ここで、学芸員さんとお別れです。

玉城について、ワクワクしながら巡ることができました。

ありがとうございました。

バスは、西高木陣屋に着きました。

私たちを迎えてくれたのは、目を見張るくらいにすごい石垣です。

4千石の陣屋にしては、立派すぎる石垣です。

「これは、陣屋でなく、城じゃん~」

参加者は、感嘆の声をあげています。

地元の方の説明を聞きます。

参加者は、その話に吸い込まれるように、どんどん西高木陣屋の理解が深まっていきました。

バスは、関ケ原駅に着きました。

ここで3月例会は終わりです。

計画してもらった杉本さん、ありがとうございました。

参加者のみなさん、お疲れ様でした。

解散後、何人かは、岐阜関ケ原古戦場記念館にも行きました。

ブログを読んでくださった会員以外の方、

お城が好きな方、興味ある方、

ぜひ一度、一緒にお城を巡りましょう

ホームページにあるお問い合わせにあるフォームにお気軽に連絡ください。

     写真 西mura    文 田naka

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