信貴山城 (奈良県 生駒郡 平群町) 4月27日

4月の例会で訪れたのは、信貴山城です。

この日の参加者は31人でした。

雲一つない日本晴れで、この上ない絶好の城巡りの日となりました。

今日の担当者は横山さんです。よろしくお願いします。

まずは、JR王寺駅に集合して、そこからバスに乗ります。

バスを降りてから、朝護孫子寺へ向かいます。

天気も良かったので、一般の参拝客も結構多かったです。

寅の大きなオブジェが、首を振って迎えてくれます。

ここから、お世話になる平群町教育委員会の学芸員の葛本さんです。

今日一日よろしくお願いします。

信貴山の全体像を確かめます。

朝護孫子寺の参道を通り抜けて、信貴山城に行く行程の説明を聞きます。

信貴山城は、松永久秀ゆかりの山城です。

織田信長に包囲され、最後に自爆した逸話は本当でしょうか。

そんなことを考えながら進むと、心がワクワクしてきます。

信貴山の中腹に点在する朱色の伽藍が青空によく映えています。

寺の歴史は相当古く、聖徳太子の時代からあるそうです。

寺に伝わる国宝「信貴山縁起絵巻」はとても有名です。

縄張り図をもとに信貴山城の説明がありました。

相当多くの曲輪が存在しており、当時とすれば大きな城であることが想像できます。

朝護孫子寺を抜けて、いよいよ信貴山城へ向かいます。

道が急峻になってきたのが分かりますか。

本格的に山城の雰囲気が出てきました。

ついに雌嶽山頂に到着しました。ここに曲輪があったことが伺えます。

城主の松永久秀の説明がありました。

荒々しく強面のイメージでしたが、温厚な人物像を紹介されイメージが少し変わりました。

曲輪を少し下りたところにやってきました。

ここは虎口だったという資料がありますが、「いや虎口ではないのでは」という考えの会員もあり議論になりました。

こういう話し合いはとても楽しく、城マニアの興味ををそそりますね。

雌嶽を少し下ってから、次により高い位置の雄嶽を目指します。

そこには、天守(高櫓)があったと考えられています。

はやる気持ちを押さえて、一歩一歩進みます。

途中で昼食です。ほっと一息。

雄嶽の山頂に着きました。

奈良盆地もよく見え、絶好の立地だということが分かります。

この場所に、天守(高櫓)があったと考えられていますが、遺構はありません。

手前に見えるのが、先ほどまでいた雌嶽です。

向こうに見えるのが、手前から二上山、葛城山、金剛山です。

いい眺めです。気分も最高でーす。

信貴山城と対峙する椿井城の説明がありました。

向こうに見える矢田丘陵にあります。

のぼり旗が見えそうなので、みんな目を細めてその場所を探します。

城内最大の切岸を見下ろします。

おっと、近づくと危ないですよ。気をつけて。

先ほどの切岸を下から見上げます。

10m近くありそうです。その高さに圧倒されます。

ここから見えるのは、松永久秀屋敷跡です。

みんな食い入るように説明を聞いていますね。

松永久秀屋敷跡に、わずかに残る土塁の跡です。

松永久秀の屋敷跡は、思っていたより格段に広いです。

実際に歩いてみるとその広さを実感します。

さぞかし立派なお屋敷があったのでしょう。

ここからは、瓦や陶器などの遺物も出てきています。

しかし、茶器の平蜘蛛のかけらは出てきていません。

会員から「結局、松永久秀はここで爆死したのですか」という質問がありました。

「それは、~」と、とても丁寧に答えていただきました。ありがとうございます。

麓の朝護孫子寺に着きました。

ここで4月例会は終わりです。

丁寧に説明していただいた学芸員の葛本さん、ありがとうございました。

信貴山城や、松永久秀、平群町のことまで、よく理解できました。

しっかりと計画してもらった横山さん、ありがとうございました。

参加者のみなさん、お疲れ様でした。

解散後、何人かは朝護孫子寺の見学に行きました。

ブログを読んでくださった会員以外の方、

お城が好きな方、興味ある方、

ぜひ一度、一緒にお城を巡りましょう

ホームページにあるお問い合わせにあるフォームにお気軽に連絡ください。

     写真 西mura    文 田naka

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