4月の例会で訪れたのは、信貴山城です。
この日の参加者は31人でした。
雲一つない日本晴れで、この上ない絶好の城巡りの日となりました。
今日の担当者は横山さんです。よろしくお願いします。
まずは、JR王寺駅に集合して、そこからバスに乗ります。

バスを降りてから、朝護孫子寺へ向かいます。
天気も良かったので、一般の参拝客も結構多かったです。

寅の大きなオブジェが、首を振って迎えてくれます。

ここから、お世話になる平群町教育委員会の学芸員の葛本さんです。
今日一日よろしくお願いします。

信貴山の全体像を確かめます。
朝護孫子寺の参道を通り抜けて、信貴山城に行く行程の説明を聞きます。

信貴山城は、松永久秀ゆかりの山城です。
織田信長に包囲され、最後に自爆した逸話は本当でしょうか。
そんなことを考えながら進むと、心がワクワクしてきます。

信貴山の中腹に点在する朱色の伽藍が青空によく映えています。

寺の歴史は相当古く、聖徳太子の時代からあるそうです。
寺に伝わる国宝「信貴山縁起絵巻」はとても有名です。

縄張り図をもとに信貴山城の説明がありました。
相当多くの曲輪が存在しており、当時とすれば大きな城であることが想像できます。

朝護孫子寺を抜けて、いよいよ信貴山城へ向かいます。

道が急峻になってきたのが分かりますか。
本格的に山城の雰囲気が出てきました。

ついに雌嶽山頂に到着しました。ここに曲輪があったことが伺えます。
城主の松永久秀の説明がありました。
荒々しく強面のイメージでしたが、温厚な人物像を紹介されイメージが少し変わりました。

曲輪を少し下りたところにやってきました。
ここは虎口だったという資料がありますが、「いや虎口ではないのでは」という考えの会員もあり議論になりました。
こういう話し合いはとても楽しく、城マニアの興味ををそそりますね。

雌嶽を少し下ってから、次により高い位置の雄嶽を目指します。
そこには、天守(高櫓)があったと考えられています。
はやる気持ちを押さえて、一歩一歩進みます。

途中で昼食です。ほっと一息。

雄嶽の山頂に着きました。
奈良盆地もよく見え、絶好の立地だということが分かります。
この場所に、天守(高櫓)があったと考えられていますが、遺構はありません。

手前に見えるのが、先ほどまでいた雌嶽です。
向こうに見えるのが、手前から二上山、葛城山、金剛山です。
いい眺めです。気分も最高でーす。

信貴山城と対峙する椿井城の説明がありました。
向こうに見える矢田丘陵にあります。
のぼり旗が見えそうなので、みんな目を細めてその場所を探します。

城内最大の切岸を見下ろします。
おっと、近づくと危ないですよ。気をつけて。

先ほどの切岸を下から見上げます。
10m近くありそうです。その高さに圧倒されます。

ここから見えるのは、松永久秀屋敷跡です。
みんな食い入るように説明を聞いていますね。

松永久秀屋敷跡に、わずかに残る土塁の跡です。

松永久秀の屋敷跡は、思っていたより格段に広いです。
実際に歩いてみるとその広さを実感します。
さぞかし立派なお屋敷があったのでしょう。

ここからは、瓦や陶器などの遺物も出てきています。
しかし、茶器の平蜘蛛のかけらは出てきていません。
会員から「結局、松永久秀はここで爆死したのですか」という質問がありました。
「それは、~」と、とても丁寧に答えていただきました。ありがとうございます。

麓の朝護孫子寺に着きました。
ここで4月例会は終わりです。
丁寧に説明していただいた学芸員の葛本さん、ありがとうございました。
信貴山城や、松永久秀、平群町のことまで、よく理解できました。
しっかりと計画してもらった横山さん、ありがとうございました。
参加者のみなさん、お疲れ様でした。
解散後、何人かは朝護孫子寺の見学に行きました。

ブログを読んでくださった会員以外の方、
お城が好きな方、興味ある方、
ぜひ一度、一緒にお城を巡りましょう
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写真 西mura 文 田naka