越中国「富山城」 越後国「高田城」

10月27日~28日に1泊2日の10月例会が行われました。
まず、1日目は富山城からスタートです。
当日は薄曇りで時折り日が差す、訪城日和となりました。
参加者は17名。
まず、富山市郷土博物館前に集合しました。
富山城の説明は富山市郷土博物館の館長の坂森さんにお願いしました。


博物館内で富山城の歴史や城域について詳しく説明していただきました。

館内には前田利長公の兜(なんと高さ140㎝!重さ4㎏!)も展示されていて圧巻でした!

そして天守最上階の展望台に移動して、かつての富山城の城域がどこまで広がっていたかを説明してもらいます。
今の富山県庁や市役所の辺りはかつて神通川が流れており、城の北側の守りになっていたそうです。

次に鉄門の石垣を見学します。
大きな鏡石ですね!向かい側にも同じ大きさの石があり、1つの石を割って使われているそうです。
立派ですね~

鉄門の角石には星型刻印を見つけました。うっすらと見えますか⁇

本丸南西方向の石垣にも刻印がありました。裏鬼門と関係があるのでしょうか⁇

黒鉄門から西の丸の石垣を眺めます。
能登地震の影響で石垣が少し沈下してしまっているのが確認できました。

かつての堀を埋め立てた場所は地盤沈下がおきたそうです。侵入禁止になっていました。

建物も向かって右側が傾いています。改めて地震の威力を思い知らされました...

そして、富山城唯一の現存建築遺構である千歳御門です。格式高い立派な門ですね!
会員からは「嘉永二年酉七月上旬出来の墨書はどのあたりに書かれていたのですか?」等の質問が出ていました。

館長の坂森さん、分かりやすい説明ありがとうございました。

富山城を後にして次は本日2城目の高田城へ向かう為、新幹線で上越妙高駅に向かいます。
上越妙高駅からはタクシーで移動します。
高田城の参加者は20名。
説明は、上越市立歴史博物館、学芸員の花岡さんにお願いしました。
高田城は大阪冬の陣直前に3か月半ほどの期間で天下普請によって造られ、徳川にとって重要な意味を持つ城であったことがよくわかりました。

かつて上越市は越後国府が置かれ栄えていた場所でした。戦国時代、長尾氏によって春日山城が築かれ、その後、福島城、そして高田城が築かれるまでを説明していただきました。
床に航空写真が広がり一目で分かりやすいですね。

約420年前に上杉家によって描かれた「越後国頸城群絵図」を説明してもらいます。

その後、三重櫓を見学します。

最上階からは遠くに妙高山が見えました

二の丸との間にかかっていた極楽橋です

本丸には立派な土塁が残ります。関西のお城ではなかなか出会えない規模の土塁の大きさに感嘆の声を上げずにはおられません!

学芸員の花岡さん、分かりやすい説明ありがとうございました。

ここで、1日目の見学は終了しました。
「日本三大夜城」に選ばれている高田城は夜のライトアップも美しいだろうなあ…と思いながら
1泊して美味しい料理とお酒をいただきました。

                      西mura

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