福井城(越前国)

8月27日(日)今月の例会は福井城でした。
参加人数は22名。担当は田中氏です。

福井駅に集合して、まず今日のお題が出てきました。「三人の城主はどのようにして福井を作ったか?」
何やらどこかの番組で見たことのあるようなテーマが出され、いつもと違う案内の始まりにワクワクしてきました。
そして福井の地形について説明を受けて、いよいよ出発です。


巽櫓

築城当初は二層櫓で建築されましたが、火事で焼失後三層の櫓に建て替えられ福井城を象徴する建物として存在していたそうです

御本城橋の前で本丸の正門としてつくられた瓦御門の説明を聞きます

本丸北側には立派な雁木が残っています

本丸北側の堀です。広いですねぇ…
特に北側に対する防御体制を重視していたようですね

福井の地名の発祥ともいわれる「福の井」

福井地震により崩れた小天守台。大きくゆがんで地震の大きさを物語っています

福井城に使われている笏谷石。水をかけるとほんのり青緑色になり「ふくいブルー」と呼ばれているそうです。写真ではあまり色がよくわかりませんが...
行かれた方はやってみてください!

石垣に残る「ハ」の字の溝が見えますか?
これは塀の屋根の垂木か屋根板が食い込んでいた跡です

かつての福井城の地表面は現在より1mほど下にあったそうです

復元された山里口御門を通って御廊下橋を渡ります

かつての藩主も通っていた御廊下橋からの眺めです

この角度から四層五階の望楼型天守が見えていたのでしょうね

そして、かつて御座所(藩主の生活の場)があった中央公園にやってきました。ここで田中氏からのクイズです。大奥があった場所はどこでしょう?皆さん頑張って探しています(^^)/
今までにない参加型クイズを楽しんでます

福井城西側の土塀と坤櫓が復元される計画があるそうです
復元された外観を見れる日が待ち遠しいですね

そして、福井城から北庄城に向かいます。途中、松平春嶽の創設した藩校跡を確認したり、街中に残る百閒堀の石垣や下馬御門に通じる石垣の一部が発見されたというビル建設中の場所も確認することができました。街中の少しの傾斜にも堀の跡を想像しながら向かいます

柴田公園では北庄城の石垣遺構の一部を確認することができました
北庄城の遺構を改変し福井城が造営されていった歴史的な変化に触れることができ、まさしく今日のお題の三人の城主(柴田勝家、結城秀康、松平春嶽)がどのように福井を発展させたのかがよく分かりました。

詳しい説明と写真を多用した解説フリップで大変分かりやすい案内をして頂きました。担当の田中氏ありがとうございました。次回の田中氏のお城案内も楽しみにしています。
暑い中、参加された皆様お疲れ様でした。

                                  西mura   

目次
閉じる